ゲームと暴力

暴力的ゲームは子どもを暴力的にしないとの調査結果 | スラッシュドット・ジャパン
コレ系は常に統計学の微妙なところでどっちの見解もあるけれど。


1.暴力的なゲーム、映画の中で暴力が否定されているかどうか
暴力が肯定されていれば少なくともメタ認識レベルで暴力肯定のメッセージを我々は受け取る。

2.暴力が近いこと
暴力的か否かは多分に文脈の中にある気もする。
非常に治安の悪いところと日本とでは「暴力的か否か」の判定がちがう。暴力的なゲーム、映画に耽溺しているならば「暴力的か否か」の基準は低くなる。暴力が日常茶飯事な生活人は暴力的だろうよ。本人文脈では暴力的ではないと思っても他人は暴力的と思うとか。文脈がずれてますから。


てなぐらいには影響があると思います。


ともかく暴力的とはどういう状態か、と言う基準を決めて枠組みで語るしか不可能という事。基準を犯罪率とかで決めれば一般人が現象認識として語り得るけど犯罪はなんともあれ禁止だから暴力的かどうかとは実は関係ない。犯罪は結果であり、暴力的か否かは程度、傾向を示します。日本語的に言えば。暴力的であろうと無かろうと犯罪は犯してはならない。だから共通フレームは犯罪率をおくのだけれど実は適切では無いのです。ただ、以外の選択フレームが無いのかもしれません。従って勢い暴力性とゲームの関係は前述の暴力基準とかを一旦おいていながら基準をを蔑ろ、あるいは再度の混同状態に戻した上で語られることが多い。それはつまり感情論に過ぎなくて、各人が好き勝手なことを言い合う政治ゲームです。

一般人としては統計結果が「正の相関は導出されません」と申し上げたところで「だから何?」といつにても言いうるし、実際その通りな気が致します。語られるべきことが統計からは語られ得ないのです。
議論が有効に成り立ちうるとしたらより上位レベルでのみ可能で、暴力と犯罪の定義を含めた舞台で展開しなくてはならないのだけれど、そんな大仰な事はそれこそ専門の学者の仕事であって、我々はそんな暇も見識も残念ながら持ち合わせていません。


ということでこういうニュースには脊髄反射で楽しむスタンスで行くことにしましょう。